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バイエルンの歴史 : バイエルン選帝候時代(1623-1806)

1623年、バイエルンの領主ヴィッテルスバッハ家は、ドイツ皇帝選出の権利を有する選帝候の地位を得た。三十年戦争でドイツ皇帝の味方についた報償として、公爵であったマクシミリアン一世が初代選帝候に昇格したのである。

 しかし1714年、マックス・エマヌエル選帝候(1679-1726)が派手な外交政策を展開し、バイエルンは存亡の危機にさらされた。マックス・エマヌエルはフランスと同盟を結び、1704年のヘヒシュタットの戦いで、イギリス、オランダ、デンマーク、プロイセン、ハノファー、ヘッセン、ドイツ皇帝軍からなる連合軍を敵にして大敗北を喫した。バイエルンがオーストリア軍に占領されると、マックス・エマヌエルはオランダに逃亡し、占領軍に抵抗して蜂起したバイエルン農民は惨殺された。この事件は「ゼンドリング村のクリスマス大虐殺」として、今日まで語り伝えられている。1714年にようやく、マックス・エマヌエルはバイエルンへの帰還が許される。

 マックス・エマヌエルの後継者カール・アルブレヒト選帝候は、またもやバイエルンをヨーロッパの列強に仕立て上げようと、無謀な企てを試みる。1742年、ついにカール・アルブレヒトは、カール7世としてドイツ皇帝の地位に就く。しかしそのわずか3年後、彼の嫡子はドイツ皇帝の位を断念した。