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 Geschichte Bayerns > Kunst und Kultur
バイエルンの世界遺産   バイエルンの文化財保護   学術教育のにない手は修道院
   
バイエルンのユネスコ世界遺産のリストは以下の通り。1. バンベルク旧市街と大聖堂(後期ロマネスク様式および初期ゴシック様式。1237年建立。1220年から1240年につくられた石彫像、とくに「バンベルクの騎士像」が有名。)隣接の旧宮殿および新宮殿(1697-1703建立)、旧市庁舎(14世紀の橋上の尖塔と1744-1756に建設したバロック様式建築との合体)、その他バロック様式の民家多数。 ...

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  バイエルンには、文化財保護下にある建築物が、宗教・世俗建築あわせて11万件余ある。その維持保存は、州政府の文化財保護局とバイエルン城郭・庭園・湖水管理機構の所管となっている。

 バイエルン全土に散在する1100余の官立や民営の博物館が、文化財の記録や収蔵を担当している。うち最も重要なのは、ミュンヘンにあるバイエルン州立博物館、...

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  中世においては、修道院が学術教育のにない手として重要な役割を果たした。16世紀になると、自治都市や封建領主が、数多くの学校や教育施設を設立した。カトリック地方では、主としてベネディクト会、イエズス会、そして司教座教会幹部の神学者たちが学校を運営した。英国出身のカトリック教徒メリー・ウォード(1585-1645)は、若い女性の修身教育のための ...

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学術教育のにない手は国家   バイエルンの音楽と演劇   バイエルンの庶民文化
   
1802年-1823年に150の修道院が廃絶された後、学術資料を収蔵する収集館や資料館が設立され、大学での研究に寄与した。学術のにない手は国家に移った。

 バイエルン王国は、大学町の数を9カ所から3カ所に整理縮小した。プロテスタントとカトリックの混在したフランケン地方では、エアランゲン大学とヴュルツブルク大学の2カ所、...

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  1802/03年までは、修道院や教会が音楽教育のにない手であった。バイエルン最初の本格的な作曲家は、宮廷楽団長であったオルランド・ディラッソで、2000曲の作品を遺している。

 18世紀には、ヴィルヘルミーネ辺境伯夫人が才能豊かな音楽家をバイロイトに招いた。マンハイム出身の選帝候カール・テオドール...

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  古くからのバイエルンの村落の特徴は、家々の外壁に描かれた「リュフテルマーラライ」と呼ばれる壁画である。その起源は、バロック期のイタリアや南ドイツの館などの正面壁に描かれたフレスコ画であった。

 バイエルンの地方色の豊かさは、様々な建築様式にも示されている。例えば、オーバーバイエルンには、...

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バイエルンの町づくりと手工業者   バイエルン諸侯の居館と宮殿   バイエルンの教会組織
   
バイエルンの町々には、住民による自治の伝統が発達した。それは1806年まで自治都市であったドイツ帝国直轄都市においてとくに著しい。商業・金融の中心地であったアウグスブルクでは、火薬庫(1602-1607)、市庁舎(1615-1620)、3つの豪華な噴水などの建築物に、市民の威信が示されている。他のドイツ帝国直轄都市にも、示威的な建築物が数多く存在する。...

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  バイエルンに数多く遺された城や宮殿は、1806年以前にバイエルンの土地を治めた世俗的・宗教的な領邦諸侯たちが、自らの権威を誇示しようとした建築物である。

 ミュンヘンは1255年よりヴィッテルスバッハ家の当主の居城となった。今日のミュンヘンの景観は、バイエルンの王族達が築いたものといえる。バイエルンが王国となった ...

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  今日でも、バイエルンの文化景観は、タマネギ坊主のような教会の尖塔、壮麗な聖堂や修道院のたたずまいに代表されている。キリスト教は、7世紀から8世紀にかけて、アイルランドやスコットランドからの伝導師がこの地に伝えたものである ...

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中世の教会・修道院からの宝物        
         
       
他の中世ヨーロッパの国々と同様、バイエルンにおいても修道院は、学問の継承、読み書きの教習、諸学術分野の伝播のにない手であった。ギリシア古典だけでなく、中世の文学書や、庶民に親しまれた9世紀初頭のヴェッソブルン祈祷書や、カルミナ・ブラナ吟遊詩などの最古のドイツ語文書も、修道院が保管した。修道院の工房では、絢爛な装丁をほどこした、高価な細密画入りの手書き写本がつくられた。貴族の寄進者や、司教や修道院長が施主となって製作させたこれらの書籍は、ミュンヘンのレジデンツ博物館の宝物庫、バイエルン州立図書館、その他の博物館・図書館・教会宝物庫などに保管されている。...

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